認知症になっても失われないもの8選 家族に知ってほしいこと
「もう何も分からなくなってしまったのでは…」
認知症と診断された親を目の前に、そんな不安を感じた方は少なくないと思います。できなくなったことが増えていくのを見ていると、どうしても「失っていくもの」ばかりに目が向いてしまう。それは自然なことです。
でも、介護の現場では毎日のように、認知症になっても残り続けるものに出会います。今日はそのことを、8つに分けてお伝えしたいと思います。
認知症になっても残り続けるもの8つ
① 感情
うれしい、悲しい、安心する、不安になる。
出来事そのものは忘れてしまっても、そのとき感じた気持ちは残ることがあります。
「さっき話したこと」は覚えていなくても、一緒に過ごした時間が「なんか楽しかった」という感覚として残る。「あの人と話すと安心する」という気持ちが続く。そんなことが、現場ではよく起きています。
だから、本人が覚えていないからといって、一緒に過ごす時間が無意味なわけではありません。
② 好き嫌い
好きな食べ物、好きな音楽、好きなテレビ番組。
長年かけて積み重ねてきた好みは、認知症になっても残りやすいと言われています。
昔から甘いものが好きだった方は、今もやっぱり甘いものに目が輝く。演歌が好きだった方は、流れてくると自然と体が動く。そういう「その人の好き」は、記憶の深いところにしっかり根を張っているように感じます。
③ 人とのつながりを求める気持ち
「誰かと話したい」「誰かに会いたい」。
その気持ちは、認知症になっても失われないことが多いです。むしろ、不安が強い時期は、誰かそばにいてほしいという思いが強くなることもあります。
一人でいると落ち着かない、誰かの顔が見えると安心する。そういう様子は、たくさんの方に見られます。
④ 誰かを思いやる気持ち
家族を心配する、孫のことを気にかける。
認知症が進んでも、大切な人を思う気持ちは残り続けることがあります。
「あの子はご飯ちゃんと食べてるかね」「忙しいのに来てもらって悪いね」。そんな言葉が出てくる方に、現場でよく出会います。記憶が不確かになっても、相手を大事に思う感情は消えていない。
⑤ 長年の習慣
毎朝仏壇に手を合わせる、畑の様子を気にする、新聞を手に取る。
長年続けてきたことは、身体がしっかり覚えていることがあります。「手続き記憶」と呼ばれる、体に染みついた記憶です。
頭で考えなくても、体が自然と動く。そういう習慣は、認知症が進んでも比較的残りやすいと言われています。ご本人の「いつもの時間」を大切にしてあげることが、安心感につながることもあります。
⑥ 音楽や思い出への反応
昔好きだった歌を口ずさむ、懐かしい写真を見て自然と笑顔になる。
記憶が薄れても、音楽や懐かしいものへの感情的な反応は残りやすいと言われています。
言葉が出なくなってきた方が、好きだった歌が流れた瞬間に歌い出す。古いアルバムを見ながら「これ知ってる」と表情が柔らかくなる。そういう場面に出会うたびに、「記憶と感情は別の場所にあるのかもしれないな」と感じます。
認知症の方への関わりの中に、音楽や思い出の品を取り入れているケースもよくあります。
⑦ その人らしさ
優しかった人は、認知症になっても優しいまま。几帳面だった人は、几帳面なまま。
病気になったからといって、人格そのものが消えるわけではありません。
もちろん、症状によって言動が変わったり、家族が驚くような行動が出ることもあります。でもその根っこにある「その人らしさ」は、ずっと残っていることが多いです。
「この人はこういう人だった」という記憶を、家族が持っていてあげることが、大切なケアの一部だとわたしは感じています。
⑧ 人の役に立ちたい気持ち
これは特に、現場で深く感じることです。
少し立ち止まって考えてみると——小さな子どもがお手伝いをして「ありがとう、助かったよ」と言われると、目をキラキラさせて「またやる!」と言う。仕事で誰かに感謝されると、次もがんばろうという気持ちになる。家族から「いてくれてよかった」と言われると、胸があたたかくなる。
誰かの役に立ちたい、必要とされたい、ありがとうと言われたい。
これは、人間が生まれながらに持っている、とても自然な気持ちです。年齢や状況に関係なく、誰の中にもある感情だと思います。
そして、認知症になったからといって、その気持ちまで消えてしまうわけではありません。
「何か手伝うことある?」とお茶を出そうとする。洗濯物をたたもうとする。「忙しそうだね、大丈夫?」と家族の顔を見て声をかける。そういう行動の奥には、「誰かの役に立ちたい」「迷惑をかけたくない」「わたしにもできることがある」という気持ちが残っていることがあります。
ここで、ひとつ気をつけてほしいことがあります。
「危ないから、座っていていいよ」「もうやらなくていいよ」。
これは、家族の善意からくる言葉です。転んでほしくない、無理してほしくない。そう思うからこそ、つい言ってしまう。その気持ちは、とても大切なことだとわたしも思います。
ただ、何も任されない状態が続くと、ご本人が「自分はここにいてもいいのかな」「何もできない人間になってしまった」と感じてしまうこともある。役割を失うというのは、思った以上に大きな喪失につながることがあります。
現場では、小さな役割がご本人の表情を変える場面に、何度も出会ってきました。
テーブルを拭いてもらう。洗濯物をたたんでもらう。お茶を一緒に配ってもらう。そんな小さなことでも、「ありがとう、助かったよ」と伝えると、表情がぱっと明るくなる方がいます。
役割そのものの大きさより、「誰かの役に立てた」という感覚が、その方の中に残るのかもしれない。そう感じることが、現場ではよくあります。
ケアマネとして感じること
家族はどうしても、できなくなったことに目が向きやすい。それは当然のことです。毎日そばで見ているからこそ、変化がよく分かる。
でも現場では、笑顔、優しさ、気遣い、思いやり、そして「役に立ちたい」という気持ち、そういうものが残っている場面を本当にたくさん目にします。
認知症になったからといって、その人らしさまでなくなるわけではない。そのことを、現場に立ち続けているわたしが、自信を持って言えることのひとつです。
認知症のご本人との関わり方を深めたい方には、認知症の親に言ってはいけない言葉と、やさしい言い換えもあわせて読んでみてください。言葉がけひとつで、関係がずいぶん変わることがあります。
まとめ
認知症になると、確かにできなくなることは増えます。それを軽く見るつもりはありません。家族のしんどさも、現実のものとしてあります。
でも同時に、残り続けるものもたくさんある。
できなくなったことを嘆くだけでなく、今もそこにあるものを一緒に見つけていけたら。その人が活躍できる小さな役割を探すことも、大切なケアのひとつです。そのためのきっかけに、この記事がなれたら嬉しいです。
ご本人への関わり方や日々のケアについて迷いがある場合は、担当のケアマネジャーや専門家にご相談ください。一人で抱え込まず、そういう場所を遠慮なく使ってほしいと思います。
現役のケアマネジャー(主任介護支援専門員)。在宅介護の家族に「ちょっと隣にいる人」がいたらいいなと思ってこのブログを始めました。猫のこまりとお届け中。
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