脳は、けっこういいかげん。でも、すごい。──本から学んだ脳科学のこと
「認知症ってもう、どんどん悪くなるだけ?」
そう思うと、怖くて。先が見えなくて。気持ちが重くなりますよね。
わたし自身も、父が倒れたとき、同じように感じました。 でも、たまたま手にとった脳科学の本に書いてあることを読んで、 すこし、ちがう景色が見えてきたんです。
今日はそのことを、専門家ぶらずに、分かち合わせてください。
脳って、じつは”いいかげん”なんだって
脳って、完璧な機械みたいなイメージがありませんか?
でも本を読んでみると、そうでもないらしくて。健康な大人でも、視覚的な錯視(目の錯覚)にあっさり引っかかる。マジシャンのトリックに騙される。「見た」のに覚えていない、「聞いた」のに頭に入っていない、なんてことは日常茶飯事。
脳はあらゆる情報を処理しながら、「このくらいでいいか」と省エネしながら働いているようなんです。いいかげん、というか……とっても人間くさい臓器、とわたしは受け取りました。
これは、認知症を軽く見ようということじゃないです。しんどいことはしんどい。でも「特別に壊れた存在になった」と重く構えすぎると、関わる家族まで体が固まってしまう。そのしんどさを、すこし解凍してほしくて書いています。
脳は、基本”怠け者”。使わないとサボってしまう
脳には、ほうっておくとすぐサボる、“怠け者”な面もあるそうです。
これ、筋肉とよく似ているな、とわたしは思っています。 寝たきりで歩かない生活が続くと、足の力がすっと落ちてしまいますよね。脳も同じで、刺激のない毎日を送っていると、だんだん働きが鈍くなる。そして、いざ「さあ、動かそう」と思っても、急にはうまく動けない。
だからこそ、刺激のある生活が大事なんだ、と腑に落ちました。
それともうひとつ、脳には”容量”の限りもあるみたいなんです。
コップに水を注ぎすぎると、あふれてこぼれてしまうように、一度にいろんな情報を詰め込みすぎると、記憶もぽろぽろこぼれ落ちてしまう。 「あれ、なんだっけ」が増えるのは、脳がダメになったからというより、もともと容量に限りがあるから。そう考えると、少し気がラクになりませんか。
脳には「補う力」がある。父のこと。
脳について知って、いちばん希望を感じたこと。それが「脳の可塑性(かそせい)」という考え方です。
難しい言葉ですが、一言で言うと「脳は傷ついた部分を、別の部分で補おうとする力がある」ということらしい。 脳のなかでは、神経どうしが”シナプス”という小さなつなぎ目でつながっていて、このつながりは、よく使えば強くなり、使わなければ弱くなる。新しいつなぎ方が生まれることもある。だから、環境や関わりによって、脳はある程度変わりつづけられる──というんです(あくまでも「らしい」「本にはそう書いてあった」というトーンで受け取ってください)。
これを読んだとき、わたしは父のことを思い出しました。
父はもともと、とにかくおしゃべりな人でした。食事のたびに話が止まらなくて、うるさいくらいで(笑)。そんな父が、脳梗塞で倒れて、失語(しつご)の状態になったんです。
言葉が出てこない。伝えたいのに言えない。うなずくか、首を振るか、それだけ。あれだけ話していた父が、ほとんど声を発さなくなりました。
「ただいま」が言えた日のことは、今でも覚えています。
もちろん、これは父の場合の話です。脳梗塞のあとは、時間とともに自然に回復していく部分もあるそうで、“デイに通えば言葉が戻る”と言いきれるものではありません。それでも、人と関わる刺激のある日々が、父の後押しになったのは確かだと感じています。
ただ、完璧に戻ったわけじゃないです。 今も、自分の気持ちにちょうど合う言葉が出てこなくて、じれったくなると、ほっぺを自分でぱちっと叩くことがあります。「くやしい、うまく言えない」というのが伝わってきて、見ているこちらも胸が痛くなる。
それは事実で、正直に書いておきたいと思いました。
“治る”とは言えない。でも、脳には補う力があって、刺激のある日常と関わり続けることで、変わりうる可能性がある。そのことを、わたしは父から教えてもらった気がしています。
ひとつだけ、補足させてください。まず、認知症は”病気の名前”ではなく、いろいろな原因で認知機能が落ちた”状態”のこと。世間で「認知症=アルツハイマー」と思われがちなのは、アルツハイマー型が、その原因のなかでいちばん多いからです。認知症そのものは、もっと広く”状態”を指す言葉なんですね。
父の場合、その原因は”脳梗塞”でした。高次脳機能障害——脳の病気やけがによって、記憶・注意・判断・感情のコントロールなどの「脳の働き」が障害される状態のことです。外見では分かりにくく、「見えない障害」とも言われます。父の場合は、そのなかでも”言葉”(失語)が大きく出ました。脳梗塞のような”急な損傷”は、そこから回復に向かうことがある——父の言葉が、戻ってきたように。
いっぽう、アルツハイマー型のような”進行性の病気”が原因の場合は、経過がちがって、ゆっくり進みます。ただ「進む一方」ではなく、刺激のある生活や関わりで、進みをゆるやかにできるとも言われている。だから「認知症なら、父のように言葉が戻る」と一概には言えないけれど、“打つ手がない”わけでも、決してない。“脳には補う力がある”──それは、原因がなんであれ通じる希望だと、わたしは受け取っています。
認知症について、診断を受ける前後の話は 認知症かもしれない親が病院を嫌がる…受診の声かけと物忘れ外来のこと もあわせて読んでもらえると参考になるかもしれません。
脳にいい暮らし──本で学んだこと、少しだけ
脳科学の本を読んで、「これ、介護とつながるな」と感じたことをひとつだけ紹介させてください。
脳の働きには、いくつかの脳内物質(ホルモンのようなもの)が関わっているらしいんです。ざっくりだと、こんな感じ。
- セロトニン:日光を浴びる、生活リズムを整えることで分泌されやすくなる。心の安定に関わる。
- オキシトシン:人とのふれあいや、誰かといる温かさで出やすくなる。安心感につながる。
- ドーパミン:楽しみや、小さな「できた!」というごほうびで分泌される。やる気・喜びに関わる。
もうひとつ。脳と体の動きはつながっているという話も印象的でした。歩くなど体を動かすことが、脳の働きにいい影響を与えるらしい。「運動が脳にいい」って直感的にもわかりますが、科学的にもそういう話があるようです。
そして、これは介護をしている家族自身にも同じことが言えます。
「日光を少し浴びる」「ちょっと散歩する」「誰かと話す」「ひとつ、小さな楽しみを作る」──これ、ご本人へのケアとまったく同じ処方箋ですよね。介護で疲れているとき、自分の脳だって助けを求めているかもしれない。そのことを、少しだけ思い出してほしいです。
認知症は「もう終わり」じゃない
認知症になっても、脳は何もできなくなるわけじゃない。刺激のある生活を続けること、誰かと関わること、小さな楽しみを作ること──それはぜんぶ、脳への”応援”になりえます。
完璧には戻らないかもしれない。でも「何もできない」じゃない。
怖がりすぎず、今日できることを、少しずつ。
父は今でも、自分の気持ちにぴったり合う言葉を、探しています。 それでも、以前より、笑うことが増えました。
脳は、完璧じゃない。だからこそ、人も、完璧じゃなくていい。 今日も、誰かと少し話して、少し歩いて、少し笑う。 そんな一日が、ご本人の脳にも、介護をするあなたの脳にも、心にも、きっとやさしい。
今日の話を支えてくれた本(参考図書)
今回の記事を書くにあたって、参考にした本を紹介させてください。わたしがケアマネとして働くなかで、個人的に読んでよかったと感じている本です。
- 樺沢紫苑『脳を最適化すれば能力は2倍になる』:セロトニン・ドーパミンなどの脳内物質と、毎日の行動のつながりを、わかりやすく書いた一冊。「どんな行動が脳にいいか」を暮らしの言葉で読めます。
- アンデシュ・ハンセン『運動脳』:脳と体の動きの関係を、研究データをもとに書いた本。「なぜ体を動かすと気持ちが変わるのか」が腑に落ちます。
今日の記事は、わたしの個人的な読書体験と家族の話をもとにしています。脳科学の部分は「本にはこう書いてあった」という紹介であり、医学的な根拠の断定ではありません。ご本人の状態や対応については、担当のケアマネジャーや医師など専門家にご相談ください。
現役のケアマネジャー(主任介護支援専門員)。在宅介護の家族に「ちょっと隣にいる人」がいたらいいなと思ってこのブログを始めました。猫のこまりとお届け中。
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